理念書
振り返り
未来
Mission(使命)
Vision(志)
Value(価値観)
Way(行動指針)
振り返り
高校3年の時に、ふと学校や社会が提示した進路というものに疑問をもった事が切っ掛けだった。
3年で理系のクラスだった自分は、数学か工学系の道に行く事を漠然と考えるようになったが、果たして自分の意思で進みたいと思っていたのかと。
ある時、クラスメイトの一人で美術部の人から声を掛けられ、「絵」を描いてみないかと誘われ、部活の前に部室へ行き絵を描いたのが、機転の一つになったと思う。
親に絵で大学へ行きたいと言って、夏期講習に行かせてもらい、木炭の削り方もパンを消しゴムにする事すら知らない中で必死に石膏デッサンをやっていた。
ただ、現実から逃げたいという思いなのか、表現を追求したいのか、思いが錯綜する中、工学部への受験と2次のみ受けた芸術系の大学にもし受かったら絵を描きたいと考えていた。
大学では、絵を描きまくり、同時に音楽もしていた自分としては、日本の環境自体肌感覚で合わないと考え、留学する事を決意して、音楽理論や絵など可能な限り勉強していた事で親にも認めてもらい、バイトをしまくって、バークリー音楽院などがあるボストンへの留学を決める事となった。
留学する際に語学学校でのカリキュラムが必須だった為、まずは卒業までの短期の留学から本格的にどの進路に進むかを現地で判断するという事を決めた。
実際に住み始めると、まずはアイデンティティの有無を突きつけられる事になった。
自身がどの様な理念を持っているのかが、皆漠然とでも持っていて、特に同じクラスのチリから来た当時40歳くらいの男性が、医師免許を国内で取ることは出来ない為、免許を取得して故郷の人々を救いたいという思いを持ってきたという話を聞いて、自分がなんて何の覚悟も理念も持っていないんだと感じた出来事だった。
また、自分は例の事件により、色んなコミュニティを横断する事ができ、南米系のコミュニティとは、ひたすらバスケをしたりサッカーしたりし、同じホストファミリーのとこにいた、スウェーデンの人やらアメリカ人とは、音楽や映画について語り合い、ニューベリー通りでセッションなんかで楽しんで、黒人系とは・・・な事があったり、日本ではあまり経験のない人種によるコミュニティによる区分けが存在するという事も学んだ。
あとは、進路に関して、少なくとも自分の周りには決められたレールに乗って人生を判断する人は皆無で、それが単に遊びまくるためにマイアミに移住するとか、ロスでitを学ぶとか、理由は何であれ個々人が決めた想いが動機となって選択している。
どの様なマニアックな音楽やアートの話題もそれぞれの理念により、画一的な反応ではなく、それぞれの自由意志で他者を気にしない姿勢に色々と気づきがあったことは間違いない。
結果、入院や冤罪事件の精神的な疲弊、アメリカという自己責任という社会で生きる事、兵役、ドラッグ、銃など様々な事柄を一度、整理したく日本に帰国する事を決めた。
自分がいかに考えがなく人生を甘く見ていた事を痛感させられ、何を大事に生きていくのかの根本を見つめ直す必要があった。
とりあえずは、再度、渡米する為の資金を集める為にバイトをし始めた。
その頃は、バイトかアメリカで録音してた音源を元に、スタジオでバンドメンバー募集とかして、バンドメインに生活をしていた。
その後に、偶然、電車から見えた今泉プロジェクトの映像が見えて、偶々近くに行ってみようという気になったのもあり、そこでiaf shopという存在を知り、今に至るという事になる。恐らく、この時見ていない、または行ってみようと思っていなければ、恐らくいずれは渡米して、どの様な人生になってたかは分からない。
ここまでで、自分の人生の理念にあったのは、「どんな場所でも好きに生きていく」であり、結果、web関係の仕事に繋がっていった。
30代半ばで離婚し、仕事も休みなく馬車馬の様に働く状況に人生の目標などを見失った時期、アイスランドに行く事を決意する。
音楽などから知ることになった国ではあるけれど、国の歴史や地理を学ぶ中で、ふと昔抱いた理念を思い出した。
「どんな場所でも好きに生きていく」
一見、何もないただ大自然の広がる国で生きるという事を想像した時に、画面に表示されていた、航空機のチケット購入のボタンを指が押して勢いで購入していたのだ。
アイスランドに辿り着いた時に、そこは空港以外に何もない土地が広がっていた。
しかし、「何もない」というフラットな環境が自分には必要だったのである。
インターネットという技術により、何もない自然の中でもPCを起動すれば直ぐに仕事ができ、食べたいと思ったら安売りスーパーに行き、夜になれば宿に引きこもり、街を歩いて散策するだけでインスピレーションが沸き、車を借りてからは、気になるところで車中泊しながら、雄大な景色の中、赴くままに仕事して、余裕があれば録音したり、眠くなれば眠り、川があれば水浴びし、山があれば登山する。
シンプルな理念に基づき行動する中で、不便さは一切感じず、自分に必要な要素だけが浮き彫りになってくる。
社会的信用だとか期待に応えるとか、確かに重要な要素であるが、そこに自分の理念と一致しているのかが大事であって、こうやって何にも縛られずに生きる事が自分の人生の理念なのだと旅の中で確定していった。
この時、次の就職先が決まっていたのだが、独立する為の学びと割り切って入り、横浜で働いていた時に、帰省した際に訪れたSaltで窓から見える景色の広がりが決めてとなり、退職してフリーとなった。
これが、今から5年前の事だ。
現在・未来
世界は一つの感染症で分断され、行き来するにも証明書が必要になり、「どんな場所でも好きに生きていく」事が困難な時代となった。
長年の人生の動機である理念が覆される状況の中で、父の事件で係争中であった裁判も終わり、親の新しい生活なども確保する事ができ、理念をアップデートさせる必要があると考えていた。
その中では、作品の制作や音楽など、表現というものから離脱するという可能性も含め悩んでた時期があった。
倫理観だとか生死感だとかが歪になった世界の中で自分らしく生きる事が出来るのだろうかと自問自答を繰り返し、その結果、原点であるアメリカ滞在中に感じた、アイデンティティの表現に行き着くのである。
もしかしたら、自由な表現の場が現実から消え去る未来を想像し、今出来る事、やれる事を全力で取り組むという事だったと。
全てがオンラインに集約されつつある中で、この現実があくまで基準となるという事。
何故なら、この世界を構成している空気や温度、感触、匂いなど人が認識や没入感を得る表現は現実の世界の中でしかありえないからだ。
そこに拘った上で、表現で何を伝えたいかはその時々で細かくは分類されるのだろうけど、根本は、個人の因果である。自分が考え構築した世界が人にどの様な影響を及ぼすのか、自分という人間がどの様に認識されるのか、受けて側の反応を見て、自分がこの世界でどんな存在なのかを認識する事が重要である。
恐らく、最初の理念に固執すれば、徐々に生きにくい世界になる中で絶望感だけがましていく様になる。この世界は信用できない者たちが何の根拠もない政策を決め、実行し、与えられた情報を鵜呑みにして思考停止した羊達が従う事でもはや戻る事の無い世界になったのは間違いない。
そこにあるのは流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。
シェーンハイマーは、この生命の特異的なありように「動的平衡」と名付けましたが、この考えを基にどの様な社会になっても流れの中で自己を保つという事が生きる上では必要な考えであり、それを可視化して記録していく事は新たな視点や考えを想起し希望にも繋がり生きる根拠となるのである。
Mission(使命)
- 自分の起こった出来事は記録し、共有するに至る必然性があれば可視化(展覧会、ワークショップ、ハンズオンなども含め)
- 社会情勢により右往左往せず、影響を最小限に抑える生活基盤構築
Vision(志)
- 場所に囚われない表現方法の確立
- オンラインとオフラインを繋ぐインターフェース/デバイスを構築
- 思考の現実化
Value(価値観)
- 物事を極端に捕らえず、メリット、デメリットを判断して選択
- 好き嫌いを有耶無耶にせずハッキリ提示する
- 身体尺度・動的平衡
Way(行動指針)
- 自分がマイノリティ側に立ったとして揺るぎない根拠があれば従わない
- やると決めたものは、何よりも優先して達成させる
- 常に疑問をもち、誰かの引用で終わるのでなく自分のフィルターを通し自分の言葉とする