意見陳述 | Statement of Opinions

2019年2月14日未明、訃報の連絡があってから早7ヶ月経ちました。

父が去っていった実感を得るまでにこんなにも時間がかかるのかと、それまで色んな死の形を見てきましたが、例えば病室のベットの上で最後の瞬間が訪れるまでの猶予の間に受け入れる準備をする。死に至るまで少しづつ覚悟を積み重ねると共に現実として受け入れる期間にもなりますが、今回この様な形で唐突に別れなければならないというのは、数ヶ月経った今でもうまく解釈することが出来ず受け入れられていない状況です。

理不尽さに苦しんだ日々でした。

何よりも心身共に掻き乱されている中でも、現実として生きていく為に仕事もしなければならない。何も分からないまま葬儀や事情聴取など警察とのやりとりなどに向き合わなければならなかった。強制的に生き方を捻じ曲げられ目標としていたタスクも中止せざるを得なく、向き合い受け入れる事がいかに困難であったか想像できるでしょうか?

遺族という立場でこういった困難な事象を乗り越えなければ、こうやって法廷に出て気持ちを伝えるに至れないという事そのものも理不尽だと思います。

こうして意見陳述なるものを書き伝える事は、目を背けたくなる記憶へ自らアクセスしていく必要があり、それはただただ苦痛を伴う作業だという事です。それでも、遺族という立場として、このような機会がもうないだろうと思うと、出来る限りの事をしておきたいと考えた為、自らの言葉を述べさせて頂いております。

過去の記憶を辿る中、印象的な出来事に関しては必ずしも幸せなシーンなどではなく、ネガティブな事も数多く浮かび上がりました。
仕事などで大変な時期もあったり、家族の関係が上手くいかない時期もありました。
当然、いつも人生が上手くいくなんて事はない。
そんな中、互いの感覚や考えをぶつけ合い、それが次に活かされ、少しでも成長した姿で会うというのがいつしか一つの指標にもなりました。

そういう紆余曲折を経て、父に関して振り返り、一言言いたいのは「偉大な人」だったという事です。
人一倍、責任感が強く家族に対して背負ってきた重圧は途轍もなく重かったんだろうと今更ながらに気づき、自分がそういった重荷をずっと背負わせてきた事がとても悔いに残っています。少しでも分担出来ればと何度も考えました。

また、音楽制作や小説を書くといったクリエイティブな面も持ち、そのユニークな生き方は私自身に多大な影響を与え、この世界で生きる上で可能性を広げてくれました。

そういった目には見えない残してくれた資産をこれから生きていくにあたり、記憶を辿りに参照していくことでしょう。

ここで、あなたが遺族の立場であったと想像してください。
加害者に対しどのような感情を抱くでしょうか?

この問いを一方的に問うのは不公平なので、私が加害者の立場を想像した場合に関して伝えます。

まず先にくる感情は恐怖です。
恐らくその責務から逃げたくなる気持ちにも当然なったと思います。
事情聴取では、この先の人生を想像して素直に調書に応じれられない事も想像できます。
しかし、人の人生という一個人では抱えきれないほどの重みに対してそこに想像が及ぶと、この後実刑となって裁かれるとしても刑期が終われば人生をやり直せる機会が訪れます。
それに比べ、故人に対してはどのような言葉も伝わる事はなく、如何なる可能性もまた0であるという事も事実です。
そこまで至った時に、せめて事実を包み隠さずに遺族に伝えなければならない。
それは最低限すべきことだと思いました。

ここまでが、私が想像した加害者の立場になった際のイメージです。

最後に謝罪に関して言いたい。
加害者側から一度もこちらに伝わる形での謝罪がなかった。
そのような気持ちがないというのは遺族にとって到底納得できる事ではないのです。

当然、謝罪をそのまま受け入れる事はないんですが、個人でどうしようもなく取り返す事も出来ない事をやってしまったとしても謝罪や後悔といった気持ちを伝える事は加害者の立場として必要最低限やるべき事なのではないでしょうか?

私の個人的な気持ちとしましては、これまでに起こった事、理不尽な出来事も含め、それを受け入れた上でより良い人生になれるように精進し日常を取り戻したいと思っています。

以上