7月 14, 2019

違和感 | Discomfort

現在の社会では教育や文化・娯楽、社会、政治、経済と、現在人として生きる上で様々な規約があり、経済活動をし納税をする事も最低限の生きる上で行わなければならないのだが、そういった事を一旦除外して生物としての生きるという定義を考えてみる。

違和感 | Discomfort

生きるという事を最小の単位に分割して考えてみる


現在の社会では教育や文化・娯楽、社会、政治、経済と人として生きる上で様々な規約があり、経済活動をし納税をする事も最低限の生きる上で行わなければならないのだが、そういった事を一旦除外して生物としての生きるという定義を考えてみる。

  • 食事
  • 睡眠

当たり前の事を何書いているんだと思われると思うが、この2つがあれば生命を維持できるという意味では生きると言えるのではないかと定義する。

ただこれだけだと人生という時間軸における問題や食物や安全を確保する事が困難である。

また、どの程度の時間生きる事を想定しているのだろうか。

人によってはその日1日または数時間というごく短い枠組みで考える事もあれば、
数十年単位で捉える人もいる。

そういった変数的に主観に基づいた各々の当たり前というものが社会の中で齟齬を生み軋轢が生じやすいといった事もあるのだが、現在の仕組みというのは効率的に生きるという観点で見れば理にかなっており、試行錯誤をさほどしなくても先人の作った流れに身を任せるように常に参照しながら生きる事ができる。これは楽だし不安も減るし、外敵に襲われ死ぬという確率は今では様々な法や条約、価値観に基づいた倫理観などで、日々の生活の中ではほとんど考えずに済んでる。

価値観の再定義


さて、前置きが長くなったのだが、価値観の再定義を行なっている中で、最小の単位まで掘り起こしを行なっている中、これまで土台としていた 良しとするもの とは何だったのかを考える作業は必要な工程だと考えていて、これまでの生きてきた中で積み重ねてきて会得したものが必ずしも自分にとって必要とするものだったのかという事を見直す機会としての時間をとっている。

その中で、前置きでも記載していた生物として生きるという事を最小の単位として、その上に何が必要なのかと考えていたところ、違和感 という感覚が自分の根幹となっているのではと気付いた。

違和感というのは、一言で言えば

生理的、心理的にしっくりこない感覚 ※wiki参照

これがあるからこその今の自分に至ったのではと。

少し前までは、結果というものを何よりも大切にしてきて、その為の犠牲は二の次に考えていたように思う。
何か自身の中での理想像を体現しようとして見失ったり、根幹と思考の齟齬が元に苦しんだり、承認欲求の元に自己主張をしたり…

そういった思考の変化の中で、ある種のズレだったり調和の中の異物だったりといったものにフォーカスする事を行なっていて、何故そもそもズレていると判断して違和感を感じるのか、そういった事への探求のみで人生の時間が足りなくなるのは間違いなく、変な話、自分のアイデンティティや認識されたいといった事はどうでも良くなり、単純にそういった違和感を引きずりだすという感覚を持って一つ作品を作りたいと思い始めているのが何とも矛盾してるなと感じるのだが恐らくこの違和感が生きるモチベーションとなっているという事がハッキリとしたので改めてのリスタートが切れそうな予感がしている。