私にとってのIAF SHOP*
自分にとってのIAF SHOP*という場所を振り返り
自分にとってのIAF SHOP*という場所を振り返り
※画像はpeeler参照
IAF SHOP*という場所は、自分にとって一言で表せられるような場所ではなく、学びと仕事と挫折と実験と仲間、謂わば人生を構成する殆どが内包された場合であったと思う。大袈裟に聞こえるかもだけども、偶然、列車の中から一瞬見えた、ビルに映った映像作品を見えなければ、興味を持てなかったら、今この様な人生を歩んでいる事は間違いなくなかったと思う。
海外のレーベルに嫌がらせのように音源送りまくったり、廃棄物で祭壇を作ったり、展示途中に書を書き殴ったり、自作のCD-Rを直接ラジオ局に持っていって兎に角かけてくれと嘆願しに行ったり、音の断片をCDで街中に配布して再構築しようとしたり、卵の殻を使う展示の為にオムレツパーティしたり、今考えると余りにも無邪気にギャラリーや都市、あらゆる場所でやりたい事をしてきたように思えるんだけど、色々と謂"現代アート"みたいな大層なものを見ていく内に、そこに根拠が無いといけないんだとか、これまでに無いような組み合わせやアイデアをギミックやメタファーを用いて表現する事で評価されるんだなとか色々考えはじめて、段々と自由と思えたアートという世界に対して窮屈に思える様になったのと、音楽仲間が増えていき、孤独に音楽を作ってた時代から徐々に表面で自分の音を表現するようになってからは、音楽のもつカタルシスを得る快楽にめり込む様になって実験そのものではなく、結果を求める様に意識も変わっていったように思う。
20代はそんな感じで、何やかんやで今に至るんだけど、、もうあれから20年経ってたんだなとふと実感して、それならば、自分って現在地は何なんだろうかと考える事が増えてきたんですよね。
最近、アートとはとかオルタナティブスペースの定義みたいなものを考えはじめたのも関係してると思う。
2016年くらいに音楽やってたメンバーが様々な事情で福岡から離れて、サラリーマンも辞めるタイミングとアイスランドへの旅、ヴァルドアートスタジオでの展示など様々な事情が重なったのもあり、再び芸術に向き合うタイミングがきたんです。
そこから現在までは、自分と向き合う事から始まったが、2019年に父の事故死で再び人生のプランを変更させられる事になり、そこからコロナ禍が始まる事になり、何となく理不尽を押し付けられる様な出来事をただ甘んじて受けるか抗うかみたいな感情があってね…
自分はその時、刑事と民事裁判でも色々しんどい時期で神が自分の不幸を喜んでる様を思い浮かべるくらいには病んでる時期でもあって、例えばアートや音楽を辞めないといけない、残った家族で悲しみの中、時間が止まった世界で惨めに生きていくべきなのか…とかの葛藤の中で、丁度、福岡県立美術館のおとないという共同企画の展示もあり、それも断ろうかどうしようかと悩んでたんだけども、理不尽を与えてくる人だけでなく、自分を必要としてくれてる人が少しでもいるんだなと気付いた時に、このまま辞めてしまうのもカッコ悪いなと思って、作品を作ったり表現する事を続けて来られたんだと思う。
こういう経緯で改めてIAF SHOP*の事を振り返ると、上記のような個人の事ですら、一つの物事を続ける事は困難な中で、アンダーグラウンドでサブカルでガレージロックの話を江上さんとしている風景が残ってるというのは、奇跡的な事なんではと思うんですよね。
いつ迄も当たり前に存在すると錯覚してしまうような場所。
実際、この世の中に当たり前なんてないっす。
人が永遠に生きられないように、場所もコミュニティもいつかは終わりを迎える事になる。
勿論、代替わりなどで存続していくケースもあるんだけど、人が変われば在り方も変わっていく。
批判的視点からも資本とのしがらみから距離があるこの様なスペースが重要であると考えてますし、マジョリティや社会にとっての”当たり前”とは異なる個人的見解も示せる、ある種の象徴としての場所にも思えるし、何か自分のやり方で今後も出来る事はないかなと模索しております。。
まあ、長くなったけど、そんな感じっすね。
※佐藤さんに倣ってマインドマップでまとめようと思ったんですが、上手くまとまらず、もう少し考えて作成しなおします。