1月 20, 2020

"おとない -Sound/Visit-"展 終了

昨日、福岡県立美術館で行われたおとない -Sound/Visit-展が終了しました。

"おとない -Sound/Visit-"展 終了

最終日のライブでは、まだ開発中の空間の色を検出して色情報(RGB)を周波数に変換してサイン波で出力する自作アプリにてパフォーマンスを行いました。
会場内の作品の特異点を検出して他の作家の作品の音を演奏するみたいなコンセプトで、実際はiPhone片手に作品に向けている姿はさぞシュールだったと思います。
音もピーとかだし(笑)

トークの時も語りましたが、音の表現の拡張を意識して、展示作品は現在と過去の映像を同時に出力し数秒ずれた音をミニマルにループし、また、ライブではEriさんが音を聞きながら、drawing makerから吐き出されるドローイングに対しその場で検出した音を出し、その音を聞いて再びドローイングを描くといった循環が発生し、絵と音という異なるフォーマットが同期しつつ、一つのライフサイクルが生まれていたのが自分にとって偶然且つ貴重な体験となりました。

僕とダエンさんが起点となって、音をテーマとした作品展をしたいというところからここまで形となって実現出来たこと、このメンバーで行えた事がとても嬉しく思います。
メディアアートのような技術を前面に出すのでもなく、手触り感のあるアナログの質感や作品と作品の間の間、格子状の窓やひらけた空間との融合など細かな決め事が無くても、いい感じに収まったように感じます。

課題としても多々あり、お客さんが作品を踏んだり、また地面に散りばめられた絵に対する拒否感、自分の作品に関しては、明るい時間帯での映像の見えにくさや、人が増えた時に過去と現在がぐちゃぐちゃになってどれが過去か現在かが分からなくなるといった事があります。
また、各作品の説明に関しても、し過ぎるのも見方を制御してしまう事にもなるし、無いと混乱させてしまうといった塩梅の難しさもあり、これらは今後の宿題にしようと思います。

学芸員の藤本さんには言葉では言えないほど協力頂きご指導ご鞭撻頂きながら様々な手続きや美術館という制限も厳しいであろう環境の中、自由に表現をさせて頂いたことは感謝しても仕切れないほどです。

来て頂いた友人やギャラリー・美術館関係者や九大の学生、養護学校の先生や生徒の子供達との出会いがあり、昨年の事情を知った方からの励ましのお言葉などなど全てが僕にとっての宝となりました。

養護学校の生徒の一人で盲目の女の子が城さんのレコードをとても気に入っていたようで、勇気をもって僕にレコードの仕組みと音を聞きたいと訴えてきて、流して上げた時にとても真剣に聞いていた様子を見てこのように体験できる場を提供する責任と重要性を深く感じました。

僕はアートに関しては、自らの根幹にアクセスする手段で、その基幹部を育てる事でより良い人生がおくれると思っているので、理論とか常識の前にもっとあるやろと言いたいってのもある。今の子供達が大人になった未来でアートに触れ培った感性で面白い世界が出来ていたら何かいいじゃんって思うんですよね。あくまで主観ですけど。

ちょっと脱線してしまいましたが、状況から考え、70%くらいの割合で今年をもって表現をやめる覚悟を持って臨みましたが少しでも可能性があるならば、どうしようもなくなる最期まで運命に抗ってアート的な何かしらを続けてみようと思います。

タイトル:おとずれ

“目の前の光景はモノクロで無声映画の様な静寂の世界が広がり、
一方で記憶の風景には色と音が明瞭に色付けられ再生される。”
ある時期における私の脳内の事象を具現化した作品となり、
現在と過去の映像を重ねる事で記憶と現実が交差する世界を表現しました。

今回は、iPad用のアプリを制作し、リアルタイムにキャプチャーした画像と
ランダムに録画・再生を繰り返す映像の2層構造の映像を鉄のL字アングルで
組み立てたキューブに設置したアクリル板へ投影しています。```

参加作家
生島国宜 / Eri Tsutsumy / 城一裕 / duenn / monogs

担当学芸員
藤本真帆