経過報告4 | Progress report 4
少し前になりますが、7月31日に検察から起訴したとの連絡が来ました。
2月14日に事故が発生してから約5ヶ月経っての起訴というのが一般的に早いのか遅いのか分からないですが、実際に遺族という立場で過ごしてきた日々は周りの人の気遣いや思いやりの気持ちに支えられてきた日々で、何度か食べる事も寝る事も出来ない日などがある中で何とか生きていく事が出来ました。
検察とは捜査の担当の方と法廷での担当者が異なるので、意思疎通や共有方法(電話、郵便などのレガシーな手段)で苦労をしましたが、何とか公判日が確定しました。
2019年9月30日(月)に岸和田裁判所にて執り行われます。
実際に私が行う事は被害者参加にて被告人への質問及び意見陳述を述べさせて頂きます。
9月の中旬までに原稿を書いて提出しなければなりませんので、必死こいて書いていますが
感情や主観を相手に伝えるという事は本当に難しいですね。
刑事裁判に関しては、弁護士ではなく自身で全てを把握して向き合うと決めていた為、時には検事と激しくぶつかりあったりもしましたが、民事訴訟などはあるにせよ遺族と加害者という特殊な立場で伝える事が出来る機会はそうそうありませんからね。
また、怨みや怒りの感情は今でも0ではないですが、父であったならどう判断するかを考えると、そのような生産性の無いものに固執するべきでないとも思っているのです。
この辺り、前回の記事 から少し変化してきています。少し感情的になってましたね(笑)
加害者が反省や後悔の念を持ち、量刑が出たとしても結局そこに遺族への救いはないのです。
それに、救いや希望や幸せの基準は、現在の状況によって感じ方が変わるものです。
少し前までは、明日が当たり前のように訪れ、食事や仕事、作品作りなどは日々のライフサイクルの中で循環していく事に疑いもありませんでした。
しかし、唐突に不慮の出来事から当たり前ではなくなってしまいました。
6時間睡眠出来た時に得た安堵の気持ちや食事をして味を感じた時、葬儀場で泣き叫ぶ声が頭の中で毎日繰り返されて、手を伸ばしても誰にも届かない。その様な状況から抜け出した世界が家族だけのちっぽけなものでなく、外の世界が自分という存在を受け入れてくれたと感じた時・・・
今は、朝目覚めた時に何事もなく生きている事が幸せに感じます。しんどさも含めて。
9月からは、少しづつですが通常モードへの移行の為休んでいたシェアオフィスでの仕事を再開しようと考えています。
10月には、奇しくも今年の父の誕生日に亡くなった父方の祖父のお墓参りをしに行こうと考えています。
父方の祖父とは前妻の孫という立場でもあった為、生前一度もお会いした事は無かったのですが、父の49日法要と時を同じくして、亡くなったとの連絡に少し感じる事もあり、父としては恐らく複雑な感情がある家系だろうとは思いますが、ご連絡頂いた親戚の方に祖父が父をどの様に想っていたか、また、父が幼い頃どう過ごしたのかなど色々とお話し出来たらと思います。
次回は、裁判が終わったタイミングで最後の報告と考えています。
まだ、民事などで裁判等は続きますが、刑事裁判が終わるタイミングで区切りを付けて、前を向いて生きていければと思ってます。