【#01/day 1】アイスランド旅🇮🇸福岡からアイスランドへ
今回、2週間ほどアイスランドへ滞在し、その後フランスへ行き、スイス、ドイツ、オーストリア、ハンガリーと周遊する全部で1ヶ月ちょっとの旅となりました。
轢き逃げ事件の経過報告のテキストです。
2019年2月14日未明、突然の訃報の連絡がありました。
寝ている所に母からの連絡があり、夜中という事もあり何か嫌な予感を過ぎりつつも鳴り続けている携帯を手に取って声をかけました。
「どうした?」
「お父さんが交通事故にあったみたい。」
サイレンが受話器から聴こえてきている中で、弱々しく聴こえる母の声がハッキリと聴こえました。
只事では無いとは感じましたが、取り敢えずは状況の把握と落ち着いてから改めて連絡が欲しいと伝えて一旦電話を切りました。
次に連絡があったのは夜中の3時か4時頃で、一言「亡くなった。」と、、、
即死だったようで、身体の状態は見ない方が良いと言われていたらしく隠されていたが、顔には擦り傷程度の傷がいくつかあるぐらいでまるで眠っているようだと、、、
恐らくこの瞬間から自分の中にロックが掛かったような気がする。今でも恐らく現実を直視出来ていない。
直ぐにでも実家に向かおうと思ったのだが、仕事の面談や確定申告などの予定があり、また、検死を行うため司法解剖を行いたいと警察から申し入れがあり父との対面に時間がある事もあり、1日時間をもらいやるべき事を全て片付けて向かう事にした。
15日に実家に向かい、母と母の妹と俺と3人で警察署に向かいました。
k警察署の警部補が担当をしているらしく、とても熱く感情的に「こんな非道な犯行は許すことは出来ない。必ず捕まえますから」と決意表明をして頂いてその言葉で少し救われる気持ちになりました。
その言葉通り、1日も経たずに犯人が捕らえられたとの連絡が入りました。
幸運にも目撃者の方がいて証言を詳細に行なって頂いた事が早期逮捕に繋がったとの事。
また、その際にはもう1人交通整理していた人もいたと聞いて、本当に感謝の言葉もないとはこの事かと実感した次第です。
司法解剖から警察署に身柄を移動した父との対面も果たせました。
その表情は傷が痛々しく感じはしましたが、表情はまるで眠っているようであり、苦しむ事なく逝けたのならよかったじゃないかと、、
雨が降りしきる中、予め手配していた葬儀社へ送る為の車を待っている中で警部補さんが「こういう事件の後には雨が振る事が多いんだよ。涙雨といって天が悲しんでいるから降るんだ。」とポツリと言った。
葬儀の車が到着して、捜査に参加した警察の方が整列した中、葬儀社へと向かう事になりました。
翌16日、葬儀社にて通夜を執り行いました。
今回の様なケースにおいて事件の機密事項などの事もあり親類のみの連絡とさせて頂きました。
不幸にも同様に亡くなったどこかの家族の通夜も別室にて行われているようであり、まだ小さなお子さんの悲痛の声が響く中1日父と過ごす事になりました。
16日は母の誕生日でもあったので、母の妹と相談して簡単にではあったのですが誕生日会をする計画を立てました。悲しみだけに特別な日を流されてはいけないと思ったので。
翌17日、納骨を依頼している福岡のお寺の方で戒名や供養をしっかり執り行ってもらうとの事でしたので、葬儀も簡易的な家族葬にする事にし、お経がわりにSigur Rosの「takk...」をかけていました。
そうそう、遺影に関しては特に親世代にはスマホでも何でも良いから自画どりをしておく事を勧めます。自分もそうですが中々自画どりとかはしないもんですが、何かの時にはこの写真を使うと言った家族間の決め事をしておく事です。また、仏教であるなら宗派の確認も仏具や仏壇の選定に必要な事ですので前以て確認しておいた方が良いです。
葬儀後は、通夜に参列出来なかった方を迎え入れたり、捜査状況の報告を受けたり、調書、現場検証などの刑事訴訟に向けた準備を淡々と進めているところです。
関西のニュースでは既に流れており、その内容はネットなどでも見る事が出来ました。
遺族の立場になって気付かされた事がいくつもあり、特に報道のリテラシーに関しては遺族への配慮がかけていると感じるし、説明不足した情報を元に好き勝手にコメントされる事が不快には感じましたが、これもまだインターネットが普及する前の90年代初頭から父が言っていた情報革命の弊害の一つだと認識はしております。
ただ1点、ニュースを見た人はご存知かと思いますが、あたかも道路の真ん中で寝転んでたように受ける記述に関しては全く違うのです。
確かに道路にしゃがみこんではいたらしいのですが、体調の変化で倒れこむような姿勢でもなく、道路の端っこに膝を抱えるような体勢的にもきつい座り方だったと聞きました。何故そのような体勢だったのかは永遠にわかる事はないんですが、、事故前にも数台車が通りすぎていたようで事故に繋がる位置にいた訳でもなく、また当時の状況を再現した際の検分では十分に視界に捉える事ができる環境だったという事です。また、検事も同席の上で父には全く非がないとの言葉を何度も確認しました。
加害者側の情報もネットで得られる以上のものは分からない状況です。
未だ反省の弁も犯行を認めていないという事だけは聞いています。
今回の轢き逃げ死亡事故には、加害者には3つの責任(行政、刑事、民事)が発生し、私達遺族が自らの意思で無念を晴らせる手段が民事のみという事もあり、これまでの加害者側の対応を勘案し、酌量の余地は無いものとし、示談もしくは民事訴訟になった際には弁護士をたて可能な限りの極刑を臨むつもりでこれから戦う次第です。
日常がいつ訪れるのかはまだ分かりません。ふと気づかないうちに涙が出ている事もあり、正直に人と会うのも幸せな顔を見るのも辛い。それでも社会との関連性を失うことは負のスパイラルに陥る事になるというのも分かっています。
この経験が後にどの様に解釈されるかは分かりませんが、理不尽に踏みにじられた命と私や家族の生活を理不尽なままで終わらせたくはない。これまで以上により良い人生を送る為にも、周りの方にはご迷惑をおかけする事が多々あると思いますが、経緯を見守って頂けたら幸いでございます。